Leaf 3
やがて電車が隅田川に差し掛かったところで、倉下は竹内に微笑みかけてきた。
「緊張してる?」
「そりゃ女の子と会うんだから、まあ多少は」
「そろそろ慣れた方がいいぞ」
そう言われたからといって突然性格が変わるはずはなく、むしろ尚更に身が固くなる感覚を覚えるのだった。ゆっくりと紅茶を飲んで過ごすはずの午後が、急転直下この展開なのだから、落ち着いていられる方が珍しいのではないか。悔し紛れに「早瀬さん、どんな子なの」と聞いてみたが、案の定「会えばわかるから」の一点張りである。そもそも事前の連絡もなしに秋葉原で会えると言っていること自体が、やはり疑わしい。
秋葉原に着いてからも、倉下は先程までの様子を変えることなく、まっすぐ昭和通り口改札へと向かった。エスカレーターを下る姿は、この雰囲気を楽しんでいるかのようにさえ見える。改札を抜けて左折したところにあったのは、竹内も何度も足を運んだことのある家電量販店であった。倉下は振り返ると微笑みながら、
「テレビを買い替えようかなと思ってさ」
やはり騙された、と竹内は思いつつも、苛立ちは全く感じなかった。いきなり女性の前に引き合わされたところでうまく話せる自信は毛頭なかったし、倉下が自分の思っている通りホラ吹きの倉下ではなくなってしまったのではないかという妙な焦りさえ生まれていたところである。竹内はかえって気が晴れた様子で答えた。
「でかいの買おう、でかいの」
二人がエスカレーターを4階まで登ると、フロアはそれぞれのテレビの画面が見えないほどに混んでいた。
「休みの午後だと人が多いんだね」
「そうだなあ、でももうほとんど夕方だけどな」
竹内は長袖を引き上げるようにして腕時計を見た。16時半を過ぎたところだ。思っていた以上に時間が経っていた。そう思うと急速に空腹感も高まってくる。せめてこのくらいは、と思って「買い物に付き合ってるんだから夜は奢ってくれよな」と言おうとした頃には倉下は既に歩き始めていた。「自分勝手なやつめ」
どうやら倉下はテレビの目星を既につけていたらしい。人混みの中でも迷うことなく目的の場所へまっすぐ歩いていく。なかなか追いつかない彼を追っていくと、倉下は突然立ち止まった。店員を見つけたようだった。彼のことだからこれから値切ろうとするに違いない。まだ時間がかかることを見越して、少し手前の大画面に映っていた情報番組に目を移した。
「関東地方は強い冬型の気圧配置の影響で……」
スタジオのキャスターが今日の寒さの原因を笑顔で説明した後で、映像は街の人々へのインタビューに変わった。
「防寒対策は何かされていますか」
インタビュアーは女性アナウンサーである。街行く人の中に立つと、彼女が整った顔立ちをしていることを実感する。これでも月給で暮らす会社員だというのだ。竹内は自分の職場にいる気の強い女性陣を思い浮かべ、首を横に小さく振った。
再びカメラがスタジオに返ると、大写しになった男性の表情がややこわばっていた。
「速報です。現在、世田谷区の一戸建て住宅から火が出ています」
ヘリコプターから映されたその家は、確かに黒々とした煙を吐き続けていた。このような光景を見るたび、幼い頃に自分の家が放火に遭った時のことを思い出す。一家はそれぞれ別の人を頼って一週間解散した。竹内は友人の家に泊めさせてもらったが、あれほど肩身の狭い思いは後にも先にもない。この家に住んでいた人の無事はもちろん、近くに身寄りがあることを他人事ながら祈るのだった。キャスターの「また後ほどお伝えいたします」の声で我に返ると、竹内の隣には倉下が立っていた。
「お待たせ、終わったよ。さとみちゃんに会いにいこう」
「まだ言ってるのか、もういいよ。夕飯だけ奢ってくれれば」
ふう、とため息をつくと、倉下は竹内に後をついてくるように手で示した。再び混雑の中を追いかける。
エスカレーターをぐるぐると登っていく。「もう着いてるはずだから」と言って倉下が竹内を連れてきた場所は、焼肉店である。その入り口にいた女性がこちらをちらりと見た。
早瀬さとみであった。